彼女との思い出・・・cutty氏


高校時代、クラブ活動はテニスでした。
夏合宿は毎年、男女合同で富士山の梺の大きなペンションでやってました。

2年の合宿のとき、
帰る前日に、女子部にいる同じクラスの子に一緒にいた仲良かったヤツと、
ふざけて『夜一緒に風呂入ろうぜ』って言ったら『イイよ』って。
『誰かもう1人誘えよ!』って言ったらニヤニヤしてました。
嘘かと思ってたが、2時過ぎに待ち合わせのレクリエーション・ホールの前に
友達と行ったら、やっぱ同じクラスの子連れて待ってました(嬉)

バレると怖いから、男が先に風呂場をチェックしに入り鍵が開いているのを確認!
ただ、明かりを付けるのは怖いから『後から来いよ!』って友達と中に入って
服脱いでそっとお湯に浸かってました。
少し遅れてタオルで前隠しながら女の子二人も入ってきました。

湯舟の中で『タオル取れよ〜!』って言えば『エ〜!!』とか言いながらも
タオルを頭にのっけたりしてふざけてましたねぇ。
『立っちゃった!』って言えば『ヤダ〜!!』ってな感じで。
ま、ただ30分くらい語って部屋に戻りました。
誰にばれることもなかったです。

合宿から帰って、またいつもの夏休みの練習に戻りますが
それ以来、僕ら4人は仲良くなっちゃたなぁ〜。
2学期始まってからもクラスで変に仲良い4人でした。

青春話しでスマソ。。

僕ら4人はそれ以来すごく仲良くなって、
夏休みの練習は男子部が午前なら女子部は午後と、時間が別々でした。
それでも女子部が午後練のときは、僕達男2人は女子の練習終わるまで待ってました。

5時過ぎのまだ明るい帰り道、一緒に自転車乗って帰るだけで幸せを感じましたねぇ。
夏休みだから、他のクラスメートは学校にはいませんよね。
僕ら4人だけの夏休みです!!

最初にお風呂に誘った子は、1年のときも同じクラスでした。
同じ委員会やってたから結構仲良しでした。

入学早々、男子でクラスの女子の人気投票やりました。
彼女に2票入っていたのを覚えています。
1票は僕です(笑)

もう1票は誰か?
彼女は同じクラスの男子と付き合ってました。
きっと彼でしょう。

でも1学期の終業式の日、廊下でその子が泣きながら
付き合っていた男子と話していたのを見掛けました。
たぶん別れ話し・・。

1年の夏休み終了後、知ってるくせして
『お前、彼氏いるの〜?』とか聞いてましたが
『いないよぉ』っと少しそっけなかったです。

僕は彼女と付き合いたかったです。
でもストレートにそうは言えませんね。
高1の僕には、恥ずかしくて(笑)

僕は同じクラスになったときから彼女が好きだったけど、
向こうは気付いてないと思ってたし・・。
ただ「たまに話す」くらいの関係で。
それだけで僕は幸せでしたが。

秋の運動会の応援団は、運動部連中が大勢を占めます。
僕も先輩に借り出され応援団に入団。
当然彼女も。

夏休み中の援団の練習は、行っても行かなくてもの雰囲気ですが、
休み明けからは放課後毎日、近くの公園で踊りの練習。
男女ペアで踊りますが、彼女とはペアにはなれませんでした。

練習は21時過ぎまで。
練習の解散後は女子を男子が送って行くのがうちの学校の『習わし』で、
僕が彼女にいつも『送って行くよ!』って言って、送ってました。
彼女の家は結構遠かったけど。

『お前、彼氏いるの〜?』と聞いたのはそんなときです。

『いないよぉ』の返事をもらったことで、僕は安心しました。
それだけです・・(笑)

ただ、運動会が終わってしまってからは
彼女を意識しつつも、告白することも出来ずに
秋を過ぎ、冬を迎え。。

バレンタインのときに『義理だからね』とチョコを貰ってすごく嬉しかったけど、
何故か『お返し』はしませんでした。
気軽に話しできる関係なのに、変なところで緊張してしまって・・。

そして、悶々としたままクラス替えを迎えました。

僕の青春話しを読んで下さってる方いるんですね?
嬉しい限りです。

ただ、そろそろ眠くなってきて、書き続けるの辛くなってきたので
もう寝ます。

また来ますんで、そのときはReadingプリーズ!!

春休み中は、何をしていたんだろう?
テニス部の練習は1度も行かなかったです。

短い春休みも終わり新学期。
クラス分けの一覧表を期待することなく見ましたが、
高校2年のクラスも彼女と同じになりました。凄く嬉しかったです!

バレンタインの義理チョコのお返しもせず、
そのことで彼女がどう思っているのかも分からないし、
自分は変に臆病で、よそよそしい態度のまま高校1年の3学期は終わってしまいました。

同じクラスになれたことを『きっかけ』に
心機一転、勇気だして話しかけました。『仲良くしてねぇ』って。
そしたら笑顔で『うん!』って。

高校2年のクラブ活動は、春休みに始めたバイトのせいもあって
新学期早々、週3回しか練習にでれない状況で。。
後輩が入ってきても自分は指導する『器量』を持ち合わせてなく
後輩に挨拶されても、変に照れる毎日でした。

隣のコートでは女子部が練習していて、当然彼女も練習しています。
ただ、いいところを見せたいという気持ちがあっても、僕はどうもダメで・・(笑)
彼女のいる前だと控えめになってしまいます。

ある日の昼休み、『最近、あまり部活来ないね??』
と彼女に言われドキッとしました。
「自分のことを見ていてくれてるんだ」と思うとすごく嬉しかったです。

後に『バイトしててさぁ』って正直言いました。
でも、そのときは 『いや〜、ちょっとね』なんてごまかしました。何でだろうか??

彼女は、僕が部活から気持ちが離れてきてると思ったのでしょうか?
『昼休み、一緒に練習しようよ!!』と誘ってくれました。
そして次の日から、彼女との昼練が始まりました。

最初はどうも周りの目が気になりましたが、 日に日に慣れてきました。
他のクラスメートが昼休みにテニスコートに来ることはありませんしね。
昼練に出てくる他の部員も、別に好奇の目で見る様子もなかったです。
自分は自意識過剰でした(笑)

高校2年の1学期は、春休み中の悶々とした気持ちも晴れ
彼女との昼練のおかげで、爽やかに過ぎ去って行きました。
バイトにも慣れてきて、部活の練習も週3回は必死に出ていました。

そして夏休みに突入。

平常の学期中の練習は、女子部と男子部がコートを1面ずつ使っての合同練習ですが、
夏休みは、午前と午後に別れてしまいます。
各部がコート全面使っての練習になります。

女子部と男子部の交代には1時間くらいの間がありますので、
どんなにモタモタしても、滅多に会う事はありません。
彼女とは1度も遭遇できませんでした。

あれだけ1学期、一緒に昼練していた彼女に
自分の中で何となく距離ができてしまいました。

夏休みの練習が中頃まで消化され、いよいよ合宿へ。
男女合同ですから嬉しかったです。

ただ、2週間ほど全く顔を合わせてなかったので
久々会ったときに、何と話し掛ければよいのかと、かなり悩んでました(笑)

学校で集合し、男女別々のバスに乗り込みます。
集合時、彼女の姿を見つけました。
でも、友達と話している彼女の元へはどうも臆して行けません・・。
話し掛ける『きっかけ』も『勇気』も見つけられず。。

合宿先のペンション到着後、各自、自分の部屋に荷物を置きに行き、
夕方からの練習のために玄関の前に集合しました。
女子部もいます。

うちの部は毎年、合宿時に新しいボールを大量に購入します。
合宿初日の練習前にみんなで缶を空けてボールをカゴの中に入れるのが恒例です。

男女部共々、玄関前で缶から新ボールを出してましたが、
その際、僕は缶のフタで左手の手の平をザックリと切ってしまいました。
『どうしよう・・』と思って、血が流れる手を見てました。
みんな驚いてました。
すると彼女が気付いて近付いてきます。

彼女が『大丈夫?』、僕は『うん。』

傷は思ったほど、ひどくはありませんでした。
ただ、こんなハプニングが気弱な自分に彼女が話し掛けてくるきっかけを作ってくれるとは。。

このハプニングのお陰で、また彼女と気軽に話せるようになりました。

3泊4日の合宿期間中は、宿舎内で会えば彼女に積極的に話しかけました。
練習の場所は男女別々でなかなか遭遇する機会もありませんが、
少しでも見かければ『お〜い!』って。

毎日大雨で、練習後はみんなビショヌレでした。
練習後、玄関前でTシャツから下着が透けてまる見えの彼女捕まえては
『おいおい、丸見えじゃねえかよ!』とからかってました。
『ホントよね〜』なんて微笑んで言うだけで隠すこともしなかったです。
背中にピッタリまとわり付く彼女のシャツを引っ張っても
『キャッ!』って言うだけで、別にイヤな顔はしませんでした。笑ってました。
僕も彼女もみんなも、合宿特有の空気で開放的になってたようです。

最終日は男女合同でバーベキューをしました。
友達とふざけて『夜一緒に風呂入ろうぜ』って誘ったのはそのときです。

そして彼女は来ました。

合宿が終わってからの夏休みの練習は、すごく楽しかったです。

男子部が午前練で女子部が午後練のときは
バイトがない日は、女子の練習が終わるのを友達とファミレスなんぞで
時間を潰しながら待ってました。
逆のときも女子は待っててくれました。

あれこれグダグダしゃべりながら、一緒に帰ってました。

僕の友達と、もう1人の女の子はすごく仲が良くて、
僕の友達は、彼女に熱を上げてました。
二人とも美男美女だから、お似合いのカップルな感じです。

僕と彼女もお似合いな気がしてました(笑)

ただ、いつも4人一緒の行動でした。
『何処かに行こう!』と話しもしてました。
結局、この4人で何処かへ行くことはありませんでしたが。

お互いが、誰をどう思っているのかは
もう解っているからみんな安心していました。

高校2年の2学期が始まってからは、
昼休みの弁当は4人で食べるし、その後は4人で昼練。
他のクラスメートから『羨ましいなぁ・・』と言われれば
正直、嬉しかったです。

この年の運動会、4人は揃って応援団に加入。
この年も彼女とペアを組むことはありませんでした。
援団の練習後、今年も彼女を家へ送って行きましたが、
途中で『ここまででいいよ。』って。
『あ、そう・・お疲れ。』と別れてました。

運動会の前日、援団の最後の練習終了後
また彼女を送って行きました。

『実はさぁ・・、親離婚してさぁ。母さんと住んでいるんだ・・。』
突然の話しでびっくりしました。
両親は春には離婚していたそうで・・知らなかった。。

『驚いた??』彼女はケラケラ笑ってます。

いつも『ここまででいいよ。』って、言われていた角から
少し行った所まで案内されて、『今、ここに住んでんだ』と、アパート指差して言います。

『でもね、たまに悲しくなるから・・、
その時は布団に顔埋めて、大声で泣いているんだよ!!』って怒った様子で話します。

そして、『母さんまだ帰ってこないから、寄っていかない?』と彼女。

アパートの中は、必要最小限のモノだけが置かれている感じで。

僕の父親は、僕が中学生のとき大病を患って亡くなってました。
母親はすごい人で、親父の商売を1人で引き継いで、僕と姉を育ててくれてました。
商売もうまく軌道に乗せていたから、同じ母子家庭でも・・。

『午後ティ、飲む?』と勧めてくれ、咽が乾いてたからゴクリ。
もう1杯注いでくれて、沈黙・・。

思えば、それまでの人生で異性と部屋の中で
二人っきりのシチュエーションはなかったし・・、かなり緊張してました。

『私はずっとあなたが大好きで・・、あなたは私をどう思ってるの?好き??』と彼女。
『あたりまえじゃん!気付けよ!!』と僕。

彼女は『じゃあ、いいよね?』と言って、
僕の顎を押さえて、チュッチュッって2回キスをしました。
そして3回目は長いキス・・。

これが僕の初キスで、完全に気が動転しているし、その先のことなんて本でしか知らないから・・。
僕は完全な沈黙。。

でも彼女は『驚いたでしょ?』って笑ってます。
『明日本番だからさ、そこまで送って行ってあげる!』僕の気を察してくれたみたいで。。

近くの駅までの道すがら、彼女から手を握ってきました。
じゃれて僕の腕を抱え込んだり。。また緊張・・。

別れ際、『また来てよね』って真面顔で言われ、『うん。』

運動会本番。僕達の応援団の演目は最低点を叩き出しました。
それでも僕は満足でした。
これからの彼女とのことで、頭の中が一杯でしたから!

運動会が終わり、学校はいつもの平静を取り戻しました。
僕達もいつもどうりで・・。
でも、僕と彼女の関係はみんなの知らないところでどんどん深まっていく感じで。。

そんなある日、『今日うち来なよ』って誘われました。
当然、変な期待もしますが、そんなことより
彼女に誘われて断ることはできないので『いいよ!』って。
僕のバイトの日は彼女も知っているから、都合のいい日を選んでくれて。

部活が終わって、4人で帰るとき『俺ら、ちょっと寄ってくからさぁ』って、他の二人に断って。
向こうの二人も『じゃ、俺たちもどっかいこうぜ!』と2カップルはそこで別れました。

そして彼女の家で、僕は初体験をしました。
彼女もたぶんそうだったと思います。

自分は、もう完全に彼女に夢中になってしまいました・・。
そして、誘われるまま、彼女の家へ遊びに行くことが多くなってしまいました。

新しい年を迎え、3学期もたまに彼女の家へ遊びに行ってました。

そして1月のある日、彼女の家にいると
いつもなら帰ってこない時間に、彼女の母親が帰宅してきました。
僕達は慌てました。平静を装いました。
しかし、バレますよね・・。

『母子家庭だからって、ナメんじゃないよ!帰れ!!』と、ひどく怒鳴られ
僕はただ『すいません・・』と言って、帰りました。

言い訳できることではないし、母親から見れば僕は憎い・・。

帰宅後、しばらくして彼女から電話がありました。
泣き声で『お母さんも、あなたも悪くない・・悪いのは私だから。』と。
僕も『本当にごめんなさい・・』

誰に相談できるわけもなく、
これからのことを考えると、ただただ気が重たくて・・。

学校で彼女は、今まで通り優しかったです。
みんなともいつも通り接してましたが・・。

後日、『この間は、本当にすいませんでした』と彼女の母親に電話をしました。
彼女の母親は『もっと、ちゃんと大人になってからね!』と寛大な裁定を下して、僕を許してくれました。
彼女も必死に謝ったそうです。

この件で僕達がギクシャクすることはなかったです。
ただ、今まで夢中になり過ぎてて、お互い全く気付かなかったことに
気付かされた感じでした。
愛し合うことは重要だけど、高校生は高校生としての「身の丈の恋愛」をしなくてはいけないんだと。

高校2年の3学期も終わり、春休みにデートした際
『3年のクラスはもう絶対、別だなぁ』と話してました。

彼女との絆は、すごく強固なものになってきていました。
彼女もそう感じていたと確信できます。
クラスが別々になることも、大したことじゃなかったです。

しかし、高校3年も同じクラスになりました。
僕が3年間一緒のクラスだった人は彼女だけ。
彼女が3年間一緒のクラスだった人は僕だけ。
運命を感じました。
高校時代、最愛だった人とずっと一緒だなんて。。

高校3年になれば、部活は終了みたいな感じで。
放課後の練習は出ないし、昼練も後輩にコート譲ってました。
受験に備えて勉強しろ!ってことですかね?

朝練はコートが空いてることが多かったですが、
あまり続きませんでした。。いつでも朝は辛い・・。

3年にもなると、新クラスの友達というより
2年までのクラスメートや、部活の仲間との交流重視で、
なんか、『希薄さ』を周りに感じました。教室の中がバラバラな感じでした。

僕と彼女は同じクラスでしたが、昼飯は階下の教室に降りて
男友達の教室に集まって食べてました。

楽しい高校生活の最終ラウンドは、なにか味気ない感じで・・。

そして、5月のいつだったか、
彼女から『明日、病院行ってくる』って夜に電話もらいました。『は??』
理由は『ちょっと検査なの。』と彼女。

『何処か変なの?』と僕、『さあね〜』と彼女・・。
わけ解らん・・。

休みが明けても、彼女は学校に来ませんでした。
『風邪かな?何だろう??』と心配して電話。

彼女は家にいました。

『右足のくるぶしの上にデキモノがあったから』だそうで。
『明日また病院なの、また電話する。』だそうで。

その週は学校に現れず、次の週も。
金曜の晩、彼女からの電話。入院先を教えてもらいました。

土曜の昼過ぎに病院へ。彼女のお母さんもいました。
『こんにちわ』と言われてなんだか『ホッ・・。』
彼女も笑顔で『ビックリしないでね』

足のしこりの検査結果は『悪性の腫瘍』。
もう1年くらい前から小さいモノがあったそうです。
ただ、突然大きくなったので病院の門を叩いたそうです。

今後は治療に専念すること、治療法とかはこれから医師と決めること。
抗癌剤治療、部分切除・・最悪、『足の切断』もありうること。

僕は臆病で頭の中は『癌=死』で、ただの聞き役。。
彼女が言いたいことは『顔見せに来てね』ということ。
そんなの毎日だって大丈夫!!

検査は各部に及び、いろいろ辛いこともありそうなものの、
彼女は元気そのもの。
僕は毎日の放課後、休みの日で検査のない日は欠く事なく見舞いに行きました。
他の二人も、ちょくちょく顔を出してました。
この間の1ヶ月は彼女が病気とは感じられないくらいでした。

そして具体的な治療の開始。

第一は抗癌剤の投与、この間は面会ができず
ただただ、彼女の母親からの電話を待つのみ。

2週間後くらいに面会許可の電話が。

この時点で彼女はもう精気がない感じでした。
話しはできるけど、もう力がない様子でした。
顔は細〜くなってました。

その後も、訪れましたが、寝ていることが多くて。
何か投与中かもしれないし、ただ寝顔を見て帰るのみで。。

1週間後くらいには、以前の元気を取り戻し、
吐いたことや、思ったほど毛が抜けないこと、次ぎは手術すること等、
前向きな感じで話してました。

退院後の学校への復帰のこと、友達のこと、果ては将来のこと。
彼女は治ることを信じてました。

そして第二の治療の手術へ。。

手術後3週間くらいでまた電話がありました。

部分的に切ったみたいです。足は付いていました。
彼女は元気そのもの。
僕は心配し過ぎてたから、彼女の前で大泣きしてしまいました。

もうリハビリを開始しているとのことで・・ホッ。。良かった・・号泣。。

数日後に車椅子に乗っけて、病院内を散策。
『いつもの検査はここ』『手術はここ』『リハビリはあっち』と教えてもらいました。

外出許可も出るようになりました。彼女の一番の希望は学校へ行くこと。
もう夏休みで夢はかなわず、『2学期が始まって、涼しくなったら行こう』と母親。
結局、僕の知っている限り、外出はしていないようでした。。

そして、第3治療の抗癌剤へ。。そして死・・。

治療開始から、5日くらいで母親から電話。『もう、もたない』
僕は病院へ走りました。
遠くに見える彼女は、体中が真っ赤に腫れあがってました。。

自分は目の前が真っ暗に。
いろいろなことが頭をよぎり、涙はとめどなく流れ・・。
もう、もとには戻らないことは明白で。。
2時間ほどいましたが、お母さんに『また連絡するから』と言われて帰りました。

家に付くと、彼女の母親からうちの母に電話があったそうです。
『迷惑掛け過ぎて申し訳ない』と謝っていたそうです。
母親は僕に言いました『あんたは強くいなさい!!』と。

そして、翌日の晩に彼女は亡くなりました。

高校3年の2学期の自分はただの『ぬけがら』です。

受験なんか全く頭になかったし、何をやっていたのだろうか??
気付けば卒業・・。

先日から、ふと思い出して、高校時代のことダラダラ書き続けてしまいました。
ちょいとこのスレからはずれた話しでしたが。。

もう10年近く前の話しで、記憶は薄れてきたような?
それでも書き出せば、どんどん思い出してきます。
月日のせいで色褪せた感じですが、 悲しみの質は変わりません。

僕の話しが『実話』か『作り話し』かはみなさんの判断次第。
でも『悲しかったことは忘れたい』と思ってましたが、やっぱり無理ですね(笑)

『俺の青春万歳!!』

僕の稚拙な文を読んで下さったみなさん、ありがとう!

時々『感傷的になる思い出』を、見ず知らずのみなさんが読んで
お返事まで下さったことは、嬉しい限りです。

『彼女との思い出』は、これからもずっと宝物です。

最後に。。

私、cutty は1年間の浪人後、無事大学に進学!
当初、福祉系の職を目指すも、最終的には全く別の業種に就職。
現在は、仕事で知り合った女性とおつき合い中。
そろそろ結婚話しを持ちかけようと、ドギマギの毎日です(笑)

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